「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」
この言葉は、自宅の中庭で倒れていた女子高生の母親の言葉。
これは事故か、或いは自殺か。
あなたはこの言葉の裏に母性を感じますか?
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!注意!
このブログを含む【読書】には、読者であるおじさんが
感銘を受けたシーン等を中心にあくまでも主観的な感想を述べますが、
物語のあらすじやネタバレとなる表現が含まれる部分も多々存在する為、
まっさらな状態で本を読んでみたいという方はここまでとしていただき、
それでも構わないという方のみ、下記本文を読み進めてください
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私マッソーは、二十代の頃はよくミステリー小説を読んでいました。
東野圭吾さん、宮部みゆきさんは好んで読んでおりましたし、
中でも乙一さんの作品は毒気を含んでいてとても好きでした。
当時から、湊かなえさんの作品を読んでいたら、
そう思うと、至極、勿体ない気持ちになります。
湊かなえさん著書の作品は何作か読んだことがあります。
「告白」、「少女A」、そして「母性」です。
告白は、映画を先に見てしまったので、小説は後回しになってしまったのです。
映画を見た数年後、小説を読んだマッソーは、少なからず衝撃を受けたことを覚えています。
それは、絶妙に描かれた心理描写と新しい仕掛け。
同じミステリーという枠の中でも、こういった表現で、
こんなにも面白くなるのだ、と感銘を受けた次第です。
閑話休題、本題に移りましょう。
「母性」という題名を聞いて、マッソーは前提として「生まれ持ったものである」と考えました。
それは、女性のみならず、男性にも少なからずあるものだと思ったからです。
マッソーにも例えば、小さな赤さんを抱いた時、子犬や子猫を抱いた時など、
「何があっても守ってあげなければならない」という気持ちになるのです。
ですが、それは、所詮、実際に子供を産んだこともないしがない男の考えなのだと気付かされます。
むしろマッソーが抱いていた母性に対する考えと、
物語の母親の行動と娘の行動との矛盾が、心地よくイヤミスなんですよね、、、
流石としか言えませんよ、湊先生!
物語の主軸は、
歪んだ、と言っては語弊があるのかも知れませんが、作られた母性を持つ母親の書と、
その母性により育てられた娘の回想により進みます。
そしてごくわずかの女性教師の疑問が、ミステリーとしての仕掛けとなるのです。
が、その仕掛けについてはこの場では申し上げません。
「母性」と「ミステリー」が上手く絡んだこの作品により、
ミステリーとしての面白さを感じながら、今一度母性について考えることができることでしょう。
物語の娘の抱いた母性はこういうものです。
「愛を求めようとするのが娘であり、
自分が求めたものを我が子に捧げたいと思う気持ちが母性なのだと。」
私は、これに対しては賛同致しかねました。
所感を語ります。
湊さんを否定するでも、また多くの子供を持つ親たちを否定するでもありません。
娘の言葉は、文を読む限り、自分が求めたものを子供に捧げると、
一見素晴らしいことのように思いますが、
それは自分の経験に即した身勝手なもののように思えたからです。
今の世の中の多くの親は、娘の言葉にきっと賛同するかと思います。
悪いこととは思いません。
ですが、そうやって育てた結果が、「将来の夢はユーチューバ―です」
とかいう子供だったりするのです。
そうやって行動した親たちが、モンスターペアレントなんて言われているのです。
本当に、それが母性なのでしょうか?
辞典より母性とは、「母親として、自分の子供を守り育てようとする本能的特質」
本能なのですよ、母性とは。
母性とは、本能なんですよ。
まー、マッソーは男で、子供すら持ったことはありませんがねぇ ≧▽≦テヘッ
以上、第65回マッソー斎藤の今夜もプロテインでした。
次回、いずれミステリーも書いてみたいものですね。。。(未定)