ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、
自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。
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!注意!
このブログを含む【読書】には、読者であるおじさんが
感銘を受けたシーン等を中心にあくまでも主観的な感想を述べますが、
物語のあらすじやネタバレとなる表現が含まれる部分も多々存在する為、
まっさらな状態で本を読んでみたいという方はここまでとしていただき、
それでも構わないという方のみ、下記本文を読み進めてください
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冒頭から魅せる文章ではないか。
私がこの一説を読んだ時に思い描いたのは、
幼少時代の記憶ながら鮮明に残っている「ザ・フライ」という映画だった。
強烈なインパクトを残していたのは、やはり、ハエ男の偶像である。
正直、気持ちが悪いという印象しかない(子供ならなおのことであろう)。
だが今、よくよく思い返してみれば、それだけではないということに気づく。
この作品で描かれていたのは、どちらかといえば人間の精神世界であろう。
ハエと同化した男の苦悩、失っていく人間としての理性、
ハエ男であるという認識と許容、そして未来への願望。
まさしく、カフカの変身に近しいものであった。
※原作である「蝿」という作品は、
1957年ジョルジュ・ランジュラン著なので、
カフカの「変身」よりも半世紀ほど経ってからの作品である。
また、「蝿」は原作を読んでいないので、ここで多くは語らない。
『変身』
おや、これはSF作品かな、と思いがちだが、明らかに違う。
まず、読んでいくと分かるが、
「虫」になるという名詞が使われているのだが、
一体それが何の虫なのかは語られないのである。
実に面白い。
妄想が掻き立てられて仕方がない。
節足、甲虫らしい表現があるのだが、
それがゴキブリなのか、カメムシなのか、カブトムシなのか、
あるいは実際目にしたことのないような虫であるのか、
分からないのだ。
彼を目にした家族、妹、第三者の応答を受け、
特に甲斐甲斐しく世話をしていた妹の変化により、
主人公は自分が人間であったことを忘れることを受領する。
そして、安息を得る。
最後に、家族の未来について語られる。
これがやけに残酷で面白い。
この一件により引っ越しをよぎなくされる家族だが、
意外にも経済的には恵まれた状況であり、
妹に対して「そろそろ嫁にやらんとな」という、
兄が虫になったという事実をそっくり捨ててしまうのだ。
こういう現実的な人間臭いやりとりが、私は大好きである。
虫、に嫌気を感じる方がいたとしても、是非読んでみて欲しい作品である。
これが、1世紀も前に書かれていたことに驚嘆することだろう。
以上、第58回マッソー斎藤の今夜もプロテインでした。
次回、既に除湿使ってます。。。(未定)