「死のうって思うのと、死ぬのとは、ちがうわ」
とある40手前の銀座の女(女給、今でいうホステス)の物語。
主人公である葉子は、捨て子同然で血の繋がりのない母親に育てられ、
自身の自殺未遂や男との愛人生活、そんな経験からかバーでは同僚に
一目を置かれる程の人の好さが備わっていた。
その反面、日々泥酔することで慰められるといった、
どこかで自分を蔑み、自虐的な習慣を身につけてしまう、
そんな人生を歩んできた。
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!注意!
このブログを含む【読書】には、読者であるおじさんが
感銘を受けたシーン等を中心にあくまでも主観的な感想を述べますが、
物語のあらすじやネタバレとなる表現が含まれる部分も多々存在する為、
まっさらな状態で本を読んでみたいという方はここまでとしていただき、
それでも構わないという方のみ、下記本文を読み進めてください ━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
冒頭のセリフは、私がこの本を読んで一番心に残っているもの。
この言葉は、愛人をしていた男の娘が病魔と闘っている際、
男の妻が娘に「お母さん、一緒に死のうか」と言ったことを娘から聞いて、
妻が死にたいと思う程に思い悩んでいたのだと男は理解した。
それを葉子に打ち明けた時に、葉子が男に言い放ったのが、
「死のうって思うのと、死ぬのとは、ちがうわ」 である。
葉子は、過去の経験や現在の自虐的な生活を垣間見るとすると、
「生きる」ことには執着もなく、後ろ向きな考えを持っている反面、
「死ぬ」ことに対しては厳しくも寛容で、唯一前向きな姿勢を見せる。
そんな葉子が言う冒頭のセリフは、重みが違うというものだ。
私はこの作品を読んで「自殺」に対して考えさせられた。
勘違いしないで欲しい。
「自殺」を良き習慣として推奨しているのではない。
ただ、自分の人生を振り返った時、「あー死にたいなー」とか、
一度は思ったことはないだろうか。
または、そんな言葉を友人が口にしていたことはなかっただろうか。
そんな時、私の頭の中にはまず、あの葉子の言葉が浮かぶ。
そして、葉子という花は、自ら影を落とす。
それはなんとも穏やかで、安心に包まれていたことだろう。
きつい、苦しい、生きていても何の意味もない、だから自殺する、
そんな感情で人は自殺をするのではない、
葉子は自らを枯らすことでそう語りかけてくれているようだ。
忘れないでほしい。
「死のうって思うのと、死ぬのとは、ちがうわ」
以上、第48回マッソー斎藤の今夜もプロテインでした。
次回、面倒な衣替えがやってきた……(未定)