第45話 感想文「ドグラ・マグラ」

日本探偵小説三大奇書の一つとして数えられる『ドグラ・マグラ』。

一度は耳にした響きではないだろうか?

 
私は、20代の頃、本屋でそれを手にするまでは、

全くといっていい程、本作品については無知であった。

ただ単純に『ドグラ・マグラ』という不思議な響きに魅かれ、

読書中、読書後も、その不思議さに圧倒された。

 

 

 

正直言うと、恥ずかしながら、

上下巻の文庫2冊を読み終えるまで、

ゆうに一ヶ月以上を要したと思う。

電車通勤にはとても適していない内容でもあるし、

眠る前に読めばすぐに眠気が襲ってくる。

途中、読むのを諦めようかとも思ったこともあった。

だが、しかし、その本を手に取り続けることとなってしまったのは、

既にこの本の奇怪な世界に入り込んでいたのかも知れないと今更ながらに思う。

 

 

表紙からして怪しげな雰囲気が伝わってくる……

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 !注意!

  このブログを含む【読書】には、読者であるおじさんが
  感銘を受けたシーン等を中心にあくまでも主観的な感想を述べますが、
  物語のあらすじやネタバレとなる表現が含まれる部分も多々存在する為、
  まっさらな状態で本を読んでみたいという方はここまでとしていただき、
  それでも構わないという方のみ、下記本文を読み進めてください

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この本の書き出しは、以下の【巻頭歌】から始まる。

 
   胎児よ
   胎児よ
   何故踊る
   母親の心がわかって
   おそろしいのか

 
この歌が、『ドグラ・マグラ』という摩訶不思議な言葉に絡まり合い、

私の心には恐怖ともいえぬ不思議な感情が包むこととなった。

それは「背筋が凍る」のではなく、「脳髄が痺れる」というようなもの。

記憶のないはずの胎児が持つ、染色体レベルの胎児の本能

そんな風に(無理矢理)理解してこの本を読み進めることになる。

 

 

 

だけど、すぐにそれは無意味なものだと理解した。

一人称で語られる『』は、『』が誰だかも理解していないのだ。

名前すらわからず、ただ知らされる精神的狂人という事実。

『私』は誰なのか、『私』の隣の病棟に住む女性は誰なのか。

『私』を診断していた正木という先生、正木先生の後任となる若林という先生、

この先生達は『私』に何を見出そうとしているのか。

こんな疑問を抱きつつ、『私』の物語が始まるのだ。

 

 

 
そうして、いつの間にかは、『』が狂人であることを忘れてしまった。

 

 

 

 

 

私は、主人公である『私』にリンクしてしまうことになった。

誰を信じば良いのか、誰が信用できないのか。

自分の名前さえ思い出すこともできないままに。

そして『私』を取り巻いていた人々の動向が少しずつ、

本当に少しずつではあるが解明されていき、

私は『私』が狂人であったことを思い出した。

いや、この本が強制的に思い出させたといっても言いだろう。

その時私の感情は、本当の狂人は一体誰だったのだろう、というもの。

『私』に触れた正木先生、いや、そんな個人のものではなく、

人間全てに兼ね備えられた『狂人』の素質がいつしか開花するのではないか。

そういう恐怖と納得が私の感情を満たしたのだ。

 

 

 

 

 

小説の書式も独特なものだと思う。

(これが読み辛さを与えている要因でもあるのかも知れない)

途中途中で挟み込まれる、新聞や雑誌の記事のような文体、

脳髄論、キチガイ地獄外道祭文……

私は、小説を読んでいるのか、精神異常者の日記を読んでいるのか、

理解しようにもできない自分が歯痒く思ったりもしたのだが、

後にそれは正常な反応なんだとも気付くことができて、

ニヤリと口を歪ませるようなこともあった。

 

 

 

 

 

これを読む者は一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書

これが、

ドグラ・マグラ

 

 

 

 

是非読んでみて下さい、なんてことは口が裂けても言いません。

本当に、好奇心に負けた人だけが読むものだと思います。

そしてこれを読み終えても、一体何を読んだのかさえわからない。

探偵小説、というくくりではあるけれど、

答えのあるミステリー小説などとは決して交わることのないもの、

それだけは頭に入れて置くことをお勧めします。

 
「一度は精神に異常をきたす」その言葉に恐怖を覚えたら読むべきではない。

当の私はというと、これを読んでから10数年の年月が経ちますが、

精神病院に入らなければならないような事象は一切ありません。

そして、そのように生きている人が圧倒的に大多数なのでしょう。

なぜなら、『ドグラ・マグラ』が持つ闇、そんなものがあるとすれば、

全ての人間に潜在的に備わっているものだと思いますから。

 

 

 

 

以上、第45回マッソー斎藤の今夜もプロテインでした。

次回、明日できることは今日できるし、昨日だってできたんじゃね?(未定)

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