第31話 分かれ道

 

人はなぜ道に迷うのだろうか。

いや、道に迷うから人間なのだろう。

 

 

 

 

 

人は生きている間に何度の選択が待ち受けているのだろうか。

 

朝ごはんはパンかご飯か?

昼ごはんは何を食べようか?

夜ごはんはお酒を飲もうか?

あの娘に今日こそは告白しようか?

あのイケメンに思い切って声を掛けてみようか?

○か×か、凹か凸か、さらに分かれて甲乙丙か?

 

人は大小関わらず、一日に15の選択があるとする。

年に換算すれば、5475回。

人生60年だとすれば、328500回にも上る。

大層凄いことだとは思わないか。

 

 

 

(休憩用イオンシャワーっぽい画像)

 

 

 

人は、機械ではない。

機械のような人間がいても、それは機械ではなく、人間だ。

血も骨も涙も汗も白血球も赤血球もリビドーもデストルドーもある、人間だ。

矮小な人間にこれ程の選択を強制される現代では、

脳の一端を担う極めて細い血管に血が通わなくなったって、

誰も否定することなんてできないのだろう。

 

 

 

 

あぁ、あの頃のように、迷いがない世界に戻りたい。

悪魔とも天使とも呼ばれる、小さな小さな人間の子供に戻りたい

迷いなど必要ない。

必要なのは、憎しみだけ。

人間は、人間であるが故に、時間と共に選択を重ね、

大人になっていかなければならないのだ。

何故!?

どうして!??

そう叫んだ所で、誰も助けてはくれない。

だから、自分で考えるのだ。

私も、この小さな小さな脳のシナプスの一端から発せられる電気信号を送る。

あぁ、誰か、助けてはくれないだろうか。

 

 

 

 

私は、トイレで小水を垂れながら、このような分かれ道について考えている。

小さな頃では考える必要のなかった別れ道を目の当たりにするからだ。

 

どうして大人になると、分かれるのだろうか。

 

大事なことなのでもう一度言う。

 

 

どうして大人になると、分かれるのだろうか。

 

 

そして、本流から漏れた支流の断片を、

拭くべきか、拭かずに黙っておくべきか、

私はまた一つの選択を迫られることになる。

 

以上、第31回マッソー斎藤の今夜もプロテインでした。

次回、スパンコール吉田の嵐の恋愛相談!(未定)

 

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